「自由な生活をしてみたい」について

自由な生活

何を持って自由とするかは
人それぞれではある

先日、ジャニーズの嵐の報道には少し驚きました。
SMAPに続いて、嵐まで、、、

嵐はタレントぞろいで、みんな魅力的なグループだなと思っていました。みんな性格もとっても良さそうですし、ファンじゃなくても、応援したくなるような気もするので、それはつまりちょっとファンになっているということなんでしょう。

一度何事にも縛られず、自由な生活がしてみたい

ここだけを抜粋して、自由な生活とはなにかを考えてみます。

ZOZOの前澤社長がこれを受けて
「昨日から何度『自由な生活をしてみたい』について考えてる。自由な生活をしている人ってどんな人なのかな」「自由かどうかは自分次第だな」とつぶやいたあとに、「よしっ会社行く。今週も頑張るゾ」とつぶやいていた。
さらに「今までよく知らなかったけど、嵐ってメンバーもファンもみんな温かいんだね。素敵だなあ」とつぶやいていました。

 

僕は少しわかる気がするというのは、他の人たちがわかる気がしていると言っていることと大して変わらないかもしれないけど、自分レベルで考えてみる。

ミュージシャン時代には毎日が仕事のような感覚で、毎週決まったリハーサルがあるし、ライヴもあってなかなか旅行に行きたい!って思った時に旅行もいけなかったし、ツアーなどでいろんなところに行けていいね。なんて言われても、実際には現地に到着したら、リハーサルして、本番を迎えて、夜になり、昼間の世界を見ることもなく打ち上げ会場で深夜を迎えたりした。

有名じゃない僕でも、自由な時間というか、自由な週はなかった。
国民的アイドルの嵐のメンバーだったら、国内だけじゃなくて、海外にも逃げ場なんかないし、堂々と街中を歩くことも難しい。それこそ、自由な時間なんかほぼないだろう。寝る時間だって、十分じゃないかもしれない。行きたいお店にも、こそこそ行くか、取材などでいそいそと行けたりするぐらいなんじゃないか。

自由な生活とは、解放されることなのでは

と、いろいろ言ったけど、きっとジャニーズ、アイドルじゃない人になりたいんじゃないかなと僕は思う。
一旦、誰にも気づかれないような、人の目を気にしなくていい生活がしたいんじゃないか。
ただ、それはあまりにも有名すぎて難しい。とも思う。だけど、そこには記憶に新しい中で、パイオニアとなろうとしている人がいる。

安室奈美恵だ

事実上、芸能人ではなくなるということ

安室奈美恵は引退して一般人となった。そして、彼女のその後は一切報道されることはない

実はラストコンサートの数日前に、週刊誌をはじめとするメディアに、安室奈美恵の代理人弁護士から、“取材自粛要請”なるものが送付されたらしいです。その内容は以下の通りです。

《安室のプライバシーに関する記事や名誉を棄損する記事等が掲載された場合には、一般私人への権利侵害行為として、しかるべく法的措置を講じることになります》

つまり、「一般の人となった安室奈美恵を取材したり、記事にしたら訴えますよ」ということですね。

これを見て、僕はとても気持ちの良いことだな。と思った。だって、本当にそうだと思う。
あくまでも音楽を、歌を歌いたくて、そしていろんな人を楽しませるエンターテイメントを提供し続けていた、今度は自分が楽しもうっていうときに、まだ話題の中にいろというのは酷なことだと思う。

浮気したり、離婚したり、破局したりすると、それを世界に報告しなくちゃいけない。

これって、いつも、なんでこんなことをさせられているんだろう。って思う。
何秒間おじぎをし続けたなんて、ストップウォッチで計られるような経験をあなたはしたことがあるだろうか。言動を切り取られて誇張した報道をされたり、動画を変なタイミングでスクショを撮られてそれを拡散されたり、なんて窮屈な世界なんだろうか。

(これについては、好感度を売っているのが芸能人だからというのがあるらしいんですが、それはまた別のところで考えてみたいと思う。)

そんなわけで、嵐は休止を選んだ、しかもまだまだ先である。
これもとてもなるほどな、、、と思うというか、ちゃんとファンのことを考えて、すぐにではなく、たっぷりと期限を持って、それからの休止。きっと束の間の比較的自由な時間となることだと思う。
他のメンバーは大野くんが戻ってきやすいように、みんなそれぞれテレビの活動はするのかもしれない。

そう思うと、韓国は1年間軍役があるけど、ちゃんとファンは「おかえり」と迎え入れてくれる。
おなじように、きっとファンはより成長した彼らを迎え入れることだろうと思う。